南海高野ほっと・ねっと

平成27年、高野山は開創1200年を迎えます。

高野山開創1200年 特設サイト

高野山開創1200年

特別公開・イベント
開創1200年記念事業壇上伽藍中門再建

開創1200年を記念する主要事業として、天保14(1843)年に焼失した壇上伽藍の中門が172年ぶりに再建されました。
新たな中門は、鎌倉時代の建築様式をもとに設計され、規模は東西25m、南北15m、高さ16m。
高野山開創1200年記念大法会の初日、平成27年4月2日(木)には、開創大法会開白・中門落慶大曼荼羅供が執り行われます。

中門作業館
「高野山開創1200年記念大法会」にむけ、再建された中門。その歴史的な大工事は平成22年10月から始まりました。
宮大工
新設された中門作業館では高野山の宮大工が中門の部品を製作していました。
礎石
天保14年の火災により中門は焼失し、礎石のみとなっていました。この写真は中門再建現場にて、礎石の凹凸に合わせて柱の断面を削る作業の様子です。

中門建築には人の目に触れないところにも職人の魂がやどっています。
中門建築
中門を支える18本もの柱は礎石に幾度も調整を繰り返し据えられており、釘等で固定することなく各自が自立しています。
その柱から寸分の隙間もない華麗な組物が張り出した軒廻り、切妻造りの屋根まで組みあがったときの様子です。
完成時には下から見上げることしかできない素晴らしい技の結集です。
地垂木(じたるぎ) " 地垂木(じたるぎ)" 部分です。職人技で長さが綺麗に揃えられています。

釘一般の丸い釘と違い、軸の部分が角錐で一本ずつ手で叩いて作られる釘です。何度も叩き鍛造することで不純物が無くなり耐久性が増すため、神社・仏閣・城などの建築に使われています。
槍鉋(やりかんな) 日本古来の伝統工具 " 槍鉋(やりかんな)" を使用して、鎌倉時代の様式を再現しています。

貴重な高野檜皮を、希少な専門職人が、手作業で。
貴重な高野檜皮を、希少な専門職人が、手作業で。 江戸時代中期、中門の屋根は銅板が使用されていました。しかし今回の再建事業では鎌倉時代の中門を再建するため、檜皮葺を用いています。
檜皮は直径1m、高さ20mの檜80本で8坪分しかとれません。
高野檜皮はかつては日本のブランドであり、この地域の特産品でしたが、林業の衰退により今では大変貴重な品となりました。
高野山中門には、約1500本分の檜皮を使用しています。
また檜皮は、全国に50〜60人しかいない専門の職人により、1枚ずつ手作業で作られています。

檜皮檜皮は軽く、また油分が多くて雪や雨をよくはじくので、雪は積もらずにサラサラと落ちます。湿気もこもらないので建物には良く、デザイン面での美しさや優美さも兼ね備えています。
一方で、油分が多いため火災に弱く、一度燃えると火の塊となって飛んでいき、類焼してしまいます。新しい中門では火災対策として、周囲にスプリンクラーを設置しています。
檜皮葺が完成した後、平成26年5月に中門を囲っていた素屋根は撤去され、6月には本体が完成しました。

これからの中門には、四天王揃い踏み。
平成26年10月23日から24日にかけて、四天王像が中門に運び入れられました。
従来、中門には持国天と多聞天の二天王が安置されていましたが、文化6(1809)年に起こった火災で焼失。その後、文政3(1820)年に中門が再建され、二天王も新たに造立されましたが、23年後の天保14(1843)年、再び火災に見舞われ中門は焼失してしまいました。しかしこの時二天王は救い出され、損傷の修復を受けた後長らく西塔に仮安置されていました。そして平成11年に根本大塔へと移され、現在に至っていました。

今回の172年ぶりの中門再建により、この二天王は再び中門に安置されることになりました。また加えて、平成の大仏師・松本明慶の手によって現代ならではの作風に仕上げられた広目天、増長天の二天王が新たに中門に安置されることになり、平成の中門には四天王が揃うことになりました。

二天像
約2年の歳月をかけて新たに制作された二天王は質の良いヒバの木で制作されており、高さ4.3m、1体1t程の重量があります。胴体の安置はクレーン等を使用して、手や頭の取り付けは手作業で行われました。

広目天は胸元に「蝉」のブローチを付けています。これは、蝉が音を遠くへ届ける生物であることから、【威嚇】の姿勢を表現しています。また増長天は胸元に「とんぼ」のブローチを付けています。これはとんぼがまっすぐ前に飛ぶ生物であることから、【後ろにしりぞかない】という姿勢を表現しています。四天王の持ち物には決まりがありますが、ブローチのような着衣や装飾に決まりは無く、仏師独自の想いが込められています。

二天これら重量ある四天王に踏まれているのは邪鬼。顎のデザインや浮き上った血管、表情が踏ん張っている姿をよく現しています。この邪鬼は、通路の方向に顔を向けて作られているため、中門をくぐる度に邪鬼ににらまれているような気分になります。
天保14(1843)年の火災による焼失をまぬがれた持国天と多聞天の二天王は、中門再建にあたり京都の作業場において一度解体され、7回漆をぬられた後、再び高野山に戻り安置されました。

10月24日に四天王像が安置された後、中門において「大伽藍中門 四天奉安御法楽」が執り行われました。そして四天王の周囲には白い布が取り付けられ、平成27年4月2日の開創法会初日に執り行われる「開創大法会開白・中門落慶大曼荼羅供」に備えています。

四天王の大義名分は仏法守護(悪いものを寄せ付けない)。開創1200年を機に揃った四天王がこれからの高野山を護ります。
二天

中門
特別公開・イベント一覧へ戻る 法会詳細を見る 高野山特別ツアーを見る


ページの上へ