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南海高野ほっと・ねっと

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名所・見どころ
WHAT TO SEE

山内マップ 金剛峯寺 壇上伽藍 徳川家霊台 大門 霊宝館 大師協会 苅萱堂 奥之院 女人堂

山内地図PDFはこちら

高野山の名所

1壇上伽藍(だんじょうがらん)

高野山のシンボル、朱色の根本大塔がそびえたつ壇上伽藍は奥之院とともに高野山の2大聖地として信仰されている場所であり、弘法大師空海が山上に伽藍建立の手を入れた最初の地でもあります。

最寄りのバス停:金堂前

根本大塔(こんぽんだいとう)の写真 根本大塔(こんぽんだいとう)
真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの朱塗りの大塔。内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しています。
拝観時間:8時30分〜17時
料金:200円
金堂(こんどう)の写真 金堂(こんどう)
一山の総本堂として、重要な法会のほとんどがここで執り行われます。ご本尊は薬師如来。
拝観時間:8時30分〜17時
料金:200円
御影堂(みえどう)の写真 御影堂(みえどう)
弘法大師がお住まいになっていたとされるお堂。真如親王の御筆による大師の御影が安置されてから「御影堂」と呼ばれるようになりました。
不動堂(ふどうどう)の写真 不動堂(ふどうどう)
1197年行勝上人の建立と伝えられています。住宅風の仏堂として有名であり、国宝に指定されています。
中門(ちゅうもん)の写真 中門(ちゅうもん)
1843年に焼失した中門が開創1200年を記念して172年ぶりに再建されました。

蛇腹路と三鈷の松


2奥之院

弘法大師空海の御廟(ごびょう)がある奥之院は、壇上伽藍とならぶ高野山の2大聖地。弘法大師入定の地であり、弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地として多くの人が訪れています。参道には諸大名から庶民までの多くの墓石や祈念碑、慰霊碑が並び、高野山信仰の篤さをうかがわせます。

最寄りのバス停:奥の院前 もしくは奥の院口

参道の写真 参道
一の橋から御廟までの約2kmの参道には樹齢数百年の杉木立と諸大名から庶民まで約20万基を超す墓碑が立ち並びます。
奥之院御廟の写真 奥之院御廟
弘法大師御入定のあと、弟子達は足下に玉川の清流が流れるこの地に廟を建てました。大師信仰の中心聖地です。
燈籠堂の写真 燈籠堂
老女お照が献じた「貧女の一燈(祈親燈)」、白河天皇が献灯の「白河燈」が一千年来燃え続けている御廟前にあるお堂。

参道立寄りスポット

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姿見の井戸

昔からこの姿見の井戸を覗き込んで自分の影が映らなければ3年以内に亡くなってしまうという言い伝えがあります。さらに、この水で目を洗えばどんな眼病も治ったと言われたとか。

汗かき地蔵

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人々の苦しみをお地蔵様が身代わりになり、一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。

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みろく石

善人には軽く、悪人には重く感じられると言われています。
またみろく石を触ることにより、弥勒菩薩と勝縁を結ぶとも伝えられています。


金剛峯寺の写真 3金剛峯寺
高野山真言宗の総本山。国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」や歴史に名を残す絵師による襖絵も見どころです。
拝観時間:8時30分〜17時
※受付は閉所時間の30分前までです。
料金:中学生以上500円 小学生200円
最寄りのバス停:金剛峯寺前
大門の写真 4大門
高さ25.1mの大門は一山の総門にふさわしく威風堂々とした門構え。現在のものは1705年に再建されました。
最寄りのバス停:大門
霊宝館の写真 5霊宝館
国宝・重文をはじめとした貴重な仏像・仏画などの文化遺産を保存管理し、展示しています。
拝観時間:
(5月〜10月)8時30分〜17時30分
(11月〜4月)8時30分〜17時
※受付は閉館時間の30分前までです。
料金:一般600円、高校生・大学生350円、小学生・中学生250円
休館日:年末年始
最寄りのバス停:霊宝館前
女人堂の写真 6女人堂
1872年まで女人禁制であった高野山へは女性はここより山内に入ることが許されず、細く険しい女人道を通って大師御廟へお参りをしました。
最寄りのバス停:女人堂
徳川家霊台の写真 7徳川家霊台
1643年に三代将軍・家光によって建立。江戸時代前期を代表する建築であり、徳川初代将軍家康と、二代将軍秀忠を祀る二棟の霊屋(たまや)です。
拝観時間:8時30分〜17時
料金:200円
最寄りのバス停:浪切不動前
苅萱堂(かるかやどう)の写真 8苅萱堂(かるかやどう)
生涯父子であることを名乗ることなく仏道に励んだ苅萱道心と石童丸の悲しい物語ゆかりのお堂。壁面には石童丸伝説にちなんだ絵画がかけられています。
拝観時間:8時〜17時
最寄りのバス停:苅萱堂前
大師教会の写真 9大師教会
高野山開創1100年記念として1925年(大正14年)に建てられました。写経や授戒体験を受けることが出来ます。
料金:写経奉納1,000円 / 授戒500円
授戒は8時30分~15時まで受付
最寄りのバス停:金剛峯寺前

高野山ご紹介ムービー

高野山の見どころをたくさんつめこんだ映像です。
高野山へのお出かけの前に、ぜひご覧ください。

  • Experience Koyasan

※拝観時間は諸行事等により変更の場合がありますので事前にご確認ください。

山内地図、時刻表など。印刷して持っていくと便利です!

四季の見どころ

連なる山々、清々しい木々、美しい花々。移りゆく季節ごとに、それぞれの魅力があります。

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春 春の花特集

3月頃から沿線では鮮やかな菜の花が咲き始めます。時期により、桜はもちろん、つつじやバラなどさまざまな花を楽しめます。また山内では4月下旬に桜が、5月下旬には町花である石楠花が咲きほこります。

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夏の高野山 夏

緑深く生い茂る木々に囲まれ、風と光が通り抜ける夏。
弘法大師の誕生日を祝う「青葉祭り」も盛大に繰り広げられます。
沿線ではひまわりが、山内ではあじさいが花を咲かせます。

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高野山の紅葉特集 秋

沿線では地域の名産の富有柿が山々を染めます。
高野山の紅葉の見頃は11月上旬。蛇腹路では紅葉のライトアップも楽しめます。

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冬 雪の高野山

しんしんと積もる雪、静寂に覆われた寺院や山々はこころが洗われるような景観です。

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高野山と空海

高野山は、平安時代のはじめに弘法大師・空海によって開かれた日本仏教の一大聖地です。816年(弘仁7年)に当時の帝・嵯峨天皇より、真言密教の根本道場を開くためにこの地を賜り、国家の安泰、世界の平和等のために、人里離れた山奥に、真言密教の根本道場を建立しました。

海抜1千メートルの山上に広がる高野山は、東西約6キロ、南北約3キロの盆地で周囲を内八葉外八葉の峰々に囲まれ、蓮の華のような地形をしており、千年以上も前から、現在に至るまで多くの人々のお参りが絶えません。

2004年(平成16年)7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界文化遺産に登録され、またミシュラン旅ガイド日本版においては三つ星を獲得し、優れた観光地として最高の評価を受けており、日本国内はもとより世界各国の方々も数多く訪れております。

空海史略伝

(誕生)
宝亀五年(774年)6月15日、讃岐の国(現在の香川県善通寺市)で誕生しました。
父は佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀家(あとうけ)の出身で、お大師さまの幼名は真魚(まお)といいました。
(勉学に励む)
15才の時、伯父の文学博士・阿刀大足(あとのおおたり)に従って京・長岡に上り、文や儒学を学びました。そして18才で都の大学の明経科に入り、中国の古典や儒教の学習を積まれました。しかし当時の大学は儒教中心の官吏養成機関で、大師の苦しみ悩む人々を救いたいという思いとは異なるものでした。この頃奈良の名僧・勤操大徳(ごんぞうだいとく)に出会い、儒教中心で官吏養成が目的の大学より、人民救済のための仏教に深く心を傾けていきます。
(山を巡る)
大学を去り大峰山、阿波の大龍ヶ岳、土佐の室戸岬をはじめ各地の霊所を求め山岳巡歴の修行を続けます。(この頃以降、幾度か高野山に足を踏み入れたと思われます。)
(出家・得度)
20才で得度し名を教海(きょうかい)と改め、後に如空(にょくう)と名乗り身も心も仏の弟子となりました。
(空海)
さらに各地で苦しい修行を続け、22才で名を『空海』に改め、最高の教えを求めて祈願したところおつげを得て、奈良の久米寺東塔にて「大日経」を発見します。
(入唐決意)
即身成仏の法を示す「大日経」は梵語で書かれており、その奥義を究めるため唐に渡る決意をしました。しかし、まだ一介の僧侶にすぎない空海には実現困難な願いでした。
(唐へ渡る)
804年、31才の年、ついに努力と才能を認められ留学生(るがくしょう)として遣唐使船に乗り入唐。唐の都長安の名僧、真言密教第七祖・恵果阿闍梨を訪ねました。
(『遍照金剛』)
恵果和尚は空海を迎え入れ、わずか八ヶ月で密教の全てを授けて、千人の弟子の中から抜擢し、真言密教第八祖として『遍照金剛』の法号を与えました。
(師の訓戒を胸に)
恵果和尚は間もなく入滅遷化。空海は弟子代表として葬送をすませ、806年、手に印を結び口に真言を唱えて荒れる海の波をしずめ、多くの経論を携え帰国しました。
(筑紫から京へ)
帰国後すぐに万民救済のため真言密教開宗の上表文を天皇におくり、807年朝命で筑紫の観世音寺、809年洛北・高雄山寺に入住します。
(真言宗開宗)
810年、立教開宗の勅許を得て「真言宗」を開宗。多くの学僧が集まり、天台宗の最澄も高雄山寺にて空海の灌頂(かんじょう)をうけます。
(高野山)
816年、都に近からず遠からず、清逸な水が湧き霊感あふれる高野山を『密教修行の道場』と定め、勅許を得て伽藍造営に着手し、弟子と共に密教の流布に尽力しました。
(東寺)
823年、嵯峨天皇より東寺を賜ります。「教王護国寺」と称し『鎮護国家を祈る道場』とし、高野山を中心に両道場を往復する流布活動は朝野の尊崇を広く集めました
(社会活動)
唐で多くの先端技術や文献を目にして知識を習得した空海は、帰国後数々の社会活動にも活躍し日本の文化・教育・社会事業面に多大な功績を残しました。
満濃池修築(決壊しやすい大池を大改修)、綜芸種智院(一般人のための日本初の学校設立)、篆隷万象名義(日本初の辞典製作)、日本三筆にたとえられる能書家。
その他、いろは唄、語文学、仏像仏画、漢方医学、土木工事、井戸・温泉・鉱石・石油の資源活用など多方面にわたり、多くの弘法大師伝説の発端となったといわれています。
(ご入定)
835年3月21日寅の刻。高野山にて、かねてより決意のとおり一週間の精進潔斎を済ませ、結跏趺坐(けっかふざ)して生身のまま金剛定に入ります。御年62才。
(奥の院)
入定から五十日後、弟子達は空海自身が定めた奥之院の霊窟にその御定身を納め御廟としました。今も日に2回、大師の召される食事を運ぶ生身供(しょうじんぐ)が続けられています。
(『弘法大師』)
入定から86年後の921年、醍醐天皇より『弘法大師』の諡号(しごう)を賜りました。

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